国を愛する態度・心を養う?
教育基本法”改正”論議を観ていて「愛国心」を盛り込もうとしているところがやはりおかしいと思う。既に多くのニュース解説などで、本来自由である国民の心の領域に国が手前味噌のような介入を制度的にしてくるのは問題だとされている通り、思想信条の自由を定めた憲法に照らしても間違った議論だと思います。
元来「愛国心」には、自分が「生まれ育った我が山河」的な至極自然で人畜無害なものと国家権力そのものを偶像として崇め奉るような非常に有害なもの(しばしばナショナリズムと絡まって害毒が増幅される)とがあります。前者のそれは全くの個人的な問題です。何らかの理由で自国や故郷に愛着を持てない人もいるかも知れませんがそれもその人の自由です。
国家と言うのは様々な社会問題を解決していくために国民が承認して委託した機関です。例えればマンションの管理組合のようなものです。自分達が気に入って購入し住み続ける自分達のマンションに愛着を持つのは自然な流れです。その愛するマンション全体の快適性を維持運営して行くための機関として管理組合を承認し代表者としての理事に管理を住民が委託しているのと同じ構図です。
今の「愛国心」の議論はマンションの管理組合が本来主である住民に対して管理組合を愛せよ!と言っているように見えるのです。管理組合と言うのはマンションを管理運営していく道具に過ぎませんからその道具としてのパフォーマンスを住民が自らの手でチェックし時には自らが理事として参加し管理するものです。何処まで行っても国家や管理組合は道具に過ぎません。
その道具に過ぎないものを愛せ!と言う人は上の例えとは全くあべこべのイメージを持っているのだと思います。即ち国家や管理組合は国民やマンション住民が自らの快適性を追及するための道具ではなく国家権力が国民を支配するための道具であると。管理組合がマンション住民を支配する?!管理組合そのものを住民が崇める??考えただけでも本末転倒で滑稽ですがこの滑稽さを隠すために国家は権威や偶像を用いるのが常です。コレをやるのは独裁国家でしょう。少なくとも民主国家のやるべきことではありません。我々がイメージするべきはあくまでも「自治」であって「支配」ではない。
今回の議論では「国を愛する態度を養う(与党)」、「国を愛する心を涵養する(民主)」と与野党が基本的に同じ間違い方をしている所が特に残念です。この点に関して選択肢が無いことになってしまいます。この件で存外社民党の支持率が上がるかも知れませんね。とにかく、もしこの精神的押し付けが通るならば「もしあなたが国を愛するならばそれ故に道具としての国家の機能の健全性を納税者たる国民は維持管理しなければならずそのためにも国家や社会の動向に無関心であってはならない」というところまで連なった根本のコンセプトが謳われなければならないと思います。本当はね! 「愛する」という精神態度の中には「批判する」ことまでも含まれるのだと言うところまで教えるのが「教育」だと私は思いますが今検討されている「国を愛する態度」に中にはこの重要な「批判すること」が含まれていないのです!裏を返せば、あなたが国家や管理組合のイエスマンにならなければ処罰します!というスタンスなのです。主従関係が180度間違っています。
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